帰ってきたヒトラー 上・下

ついに日本語版が出た。ドイツで一昨年何ヶ月もベストセラー一位に居続けていた本。

帰ってきたヒトラー ティムール・ヴェルメシュ 河出書房新社

ドイツ語版を読んだときの感想はここ。ドイツ語ができないことには自信があるので、日本語版でもちゃんと読みたいと思って、ずっと日本語版が出るのを待っていた。

一方で、「これ、日本語にしたら伝わるんだろうか」とか、「どうしてもこのニュアンスは日本語にはならないよな」とか思ったところもあったので、それを日本語版がどう料理するのかも楽しみだった。

蓋を開けてみたら、とても素晴らしい訳だった。ヒトラーの古風なドイツ語や、若い秘書のベルリン方言などは、原文ではとても目立つので、なんとか日本語でもそれを表現したくなりそうなもんなんだが、プロの翻訳者はそういう誘惑には負けないらしく、一見するとどちらも普通の日本語になっている。

でも、ずっと見て行くと、ヒトラーの言葉はやはり年配の人が言いそうな、やや固い言葉遣いにしてある。若い秘書、クレマイヤー嬢の言葉には訛りはないけど、若さのあるカジュアルな日本語になっているし、 彼女がヒトラーに呼びかけるときに言う、”Meen Führa!” は「我がソートー!」にしてある。

“Meen Führa!” は “Mein Führer!” が訛ったもので、 総統に対するかしこまった呼びかけ。無理矢理かな書きにすると、本来「まいん・ふゅーらー」なんだけど、「めえん・ふゅーら」ってな感じ。

「我がソートー!」ってのはいかにも元の「総統」って言葉の意味を考えずに、ヒトラーに対してはそう呼びかけるものだからそう呼んでる、テレビとか映画でも見たし、という、細かいこと気にしないタイプの性格が現れた発音を思わせて、絶妙な訳だと思う。それに、この表記からは「我がトーソー」とかにも連想が飛んだりもする。そこまでは狙ってないかな?

現代ドイツの政治家に関する言及が一杯出てくるところが、日本の読者には分かりにくい。これはもう仕方がない。私もほとんど分からないけど、たまたま知ってるところだけ少し解説する。

3章の「状況分析」の第十一項に出てくる、「学者どもの陰謀にあい、失脚させられた」「若き大臣」は、カール・テオドール・ツー・グッテンベルクのことでしょう。苗字が小文字の zu で始まったりするあたりから分かるように、貴族の血を引いていて、若くして国防相になった。非常に人気の高い政治家だったのだけど、ある時、彼の博士論文は他人の論文からの剽窃である、という疑惑が持ち上がり、博士号を剥奪されたりして、失脚しました。なお、この人の後にも、何人かの政治家に博士号剽窃疑惑が出てます。前の大統領もそれで失脚したし、なんと教育相にそういう話が出たりもしました。

20章に出てくる「アジア顔の大臣」は、フィリップ・レスラーという人で、FDP-自由民主党の党首、だった。ベトナム出身で、子どもの頃にドイツ人の養子になり、ドイツで育ったらしい。顔立ちはまったく日本でも見かけそうな感じです。FDPは以前はメルケルの党と連立を組んだ党の一つだったのだけど、ここのところどんどん人気がなくなって議席も減り、レスラーも昨年末に党首ではなくなったらしい。

日本語版で読んでみて、ドイツ語版で読んだときに大きな読み違いをしていた箇所はなさそうだった。よかった。

6章の、ゼンゼンブリンクがコーヒーを二回吹いたくだりが好きです。