エマ・ストーンの映画だから見ておかなくちゃね、というつもりで見たのだけど、深くて重い映画だった。

The Help (邦題: ヘルプ ~心がつなぐストーリー~)

これには原作の小説がある。そのタイトルも The Help だ。

映画も、小説 The Help も、ある本が出版されるまでのいきさつが描かれる。その本は小説ではなく、たくさんの人たちの証言集だ。その本のタイトルも The Help だ。

証言集にネタを提供したのは、1960年代のミシシッピ州ジャクソンに住む多くの白人家庭でメイドとして働く黒人女性たちだ。今より黒人差別がずっとひどかった頃の、全米でも一番差別がひどかった街での話だ。

ただし、映画は小説に基づいていて、小説の中の証言集は実際には存在しない。だから、この映画の中のエピソードから何か教訓を引き出すのは、よほど慎重でないといけない。

小説の中で描かれるのは、白人家庭の若妻たちによる、黒人メイドへの差別だ。それが本当にそういう形で実際にあったのかどうか、直接僕には分からない。

ただ、小説の中の白人若妻達のほとんど自覚のなさそうな差別的発言や行為によく似た愚行は、今もあちこちで現実に行われている。作り話である小説を元に何かを思うなら、それは、現実に起きていることに対して、小説の筋が、何か解釈やヒントを与えるかどうか、を考えてみる、というのは一つ、意味のある選択肢だと思う。

ここで語られる愚行は、単に見落としや不注意で起きるのではなく、執拗に行われる。愚行かどうかを見直す余地はなく、むしろ意地でも認めない方向でエスカレートする。

認めないのは、認めるわけには行かないからだ。そして、そうなる理由には、社会の仕組みが関わっている。特定の個人の性格の問題として片付けられる話じゃない。

でも、同じ仕組みを持つ社会でも、この罠にはまった人とはまっていない人がいる。社会の仕組みがすべてでもない。

冒頭で、「深くて重い」映画だ、と書いた。エマ・ストーンの映画が深いのは珍しいことじゃない。「小悪魔はなぜモテる」だって、結構深い。ただ、あれはハッピーエンドで軽いタッチにしてある。こっちはそうじゃない。絶望するような話でもないし、よかったね、で済む話でもない。ちょうど現実の世界ってこんなもんだよなぁ、より、証言集が出版にこぎつけた分、少しだけ明るい展開になっている。その辺が重い。

というわけで、エマのことを書く余地があんまりない。エマが演じる女性は、黒人メイドたちと協力して、証言集を執筆する。いつものごとく、回りから孤立しつつも、世間の愚行に向き合う、役どころ。心底ステキだと思うが、鼻の下を伸ばしている気分にはなれない。

以下、ネタバレ。

もういいかい?

上述のような、シリアスな雰囲気をぶっ飛ばしてどたばたに変えるのが、後半明かされる、「ミニーがヒリーにした本当にひどいこと」の中身。

ミニーは黒人メイド。ヒリーはミニーを雇っている白人家庭の若妻。ヒリーは近所の若妻コミュニティの中のボスで、ある日どこからか、「黒人メイドと白人家族が同じトイレを使うなんて許せない」という考えに取り付かれ、若妻コミュニティのメンバーにその考えを広めたり、州政府の知人に働きかけて、別トイレを設けることを義務付ける活動を始める。自宅ではメイド用トイレを屋外に作ってミニーにそれを使わせるが、ある暴風雨の日、ミニーが悪天候の下で外のトイレに行くのを拒んで屋内トイレを使ったのを知って、ミニーを首にする。

そこで、ミニーは仕返しにヒリーに何かした。何か、本当にひどいことをした、とは話の前半でも語られるのだけど、何をしたのかは明かされない。

やがて、エマと、ミニーを含む多数の黒人メイドたちは証言集を作り始めるのだけど、そのことがばれると、全員命に関わる。登場人物の名前は全部仮名にしてあるのだけど、地元の人が読むと、誰がだれだか分かってしまう可能性が高い。

そこでミニーが言う。「保険をかけとかなきゃね。」そのために、ミニーは自分がヒリーにした本当にひどいこと、を語って、それを証言集に入れる。

本が出版されて、話題になり、ヒリーもそれを読む。そして、「本当にひどいこと」が書かれていることを知る。あまりにもヒドイので、ヒリーはそれが自分に起きたことだとは絶対に知られたくない。 そこで、ヒリーは自分の身の回りでその本が話題になるたびに、「あれはどこかよその町で起きたこと」「そもそも本当にあったことかどうかもわからない」と言い続ける。これがミニーの保険。

どこがどたばたかって?それを書くとこのブログの品位 :) に関わるので、どうぞ映画を見て確認してください。