武士の家計簿:経済映画三本立て(3)
もし一言でいうなら、親子三代に渡る、立身出世物語。親から子、子から孫に代は変わっても、代わらぬお家芸、世が変わり、危機が訪れても、賢くつましく暮らせば人生なるようになり、やがて社会の中枢へ登っていく…みたいな心地よさそうなお話。常春の国、マリネラ、みたいな安心感。 Sometimes you wanna go where everybody knows your name…
いや、そんなに照れなくてもいいと思うんだけど、この映画面白かった、というのはやや気恥ずかしい。堺雅人は「篤姫」以来好きで、彼と、中村雅俊と西村雅彦と松坂慶子は、ほぼいつもどおりの役をやっている。仲間由紀恵は誰がやっても同じになりそうな役で、印象薄いけど、いつもどおり美しい。でも、こういう学芸会みたいなお話をぼーっと寝付けない飛行機の中で見てると心地良かったのですよ。
猪山家は加賀藩代々の算用者で、7代目の中村雅俊は、頓智みたいな一案で藩の出費を減らして給料大幅アップにこぎつけたのが自慢の、のんびりしたおおらかな男。役所でのそろばんに間違いはないが、家計は払いができればいい考えで、人様に見られて恥ずかしくなく、ぜいたくとまでは行かないがゆとりある暮らしはキープしたい。その妻松坂慶子もほがらかなおっかさんで、きせるで時々一服するのと、息子の元服の際にあつらえた着物をたんすから出しては眺めるのが楽しみ。
が、8代目の堺雅人は算用者の血が濃縮されたかのような切れ者でかつ融通の利かぬ男。藩内の不正を暴いて黒幕の怒りを買い、飛ばされそうになるところに政変が起きて、逆に殿様の側近に取り立てられる。で、目を我が家に向けてみると、なんと借金が膨らんで危機的水準にあるではないかっ、ってことで、父親の骨董、母親の着物、自分の蔵書まで何もかも売り払ってできる限り借金を減らし、かつ家計を緊縮財政モードに移行させる。
これ堺雅人だからいい奴に見えるけど、相当やな奴だと思う。正しいだけに手に負えん。
松坂慶子がお気に入りの着物を質に出されることになって「いやじゃいやじゃ」と泣くシーンがお気に入り。おっかさんの唯一の楽しみじゃものな。が、中村雅俊が言うとおり、明日になれば泣き止んでおるはず。だってこの人ものの道理は分かってはいるんだもの。分かっていても泣いてしまう稚気あふれるおっかさん。
逆に、堺雅人の子の親類縁者へのお披露目の際のご馳走を、絵に書いた鯛で済ませたシーンで、子が無邪気に「鯛じゃ鯛じゃ」と喜ぶシーンは、えー、お芝居として見てられないのですが、重要シーンなので、あとから回想にまで出てきてしまうという…重要シーンならもう少しなんとかしてほしかった。子役が悪いんじゃない、台本に無理があると思う。
猪山家の血は代を追うごとにだんだん狷介さが増すようで、「鯛じゃ鯛じゃ」と騒いでいた9台目も、大人になると目つきの悪い新政府の高級官僚になります。なんと、大村益次郎に見込まれて、「兵隊の代わりはいくらでもおるが、貴様のような兵站の分かるものは兵千人にも勝る」とかなんとか言われて、要は動員計画を立てる側の人になったのでしょうね。この大村益次郎は悪人に見える、と思ったら嶋田久作=魔人加藤だし。「加藤が来るぞぉー!」
大村益次郎と言えば、大河ドラマ「花神」の中村梅之助の演じた村田蔵六(後の大村益次郎)で覚えたので、私の頭の中ではいい人のはずなんですが、致し方なし。
エピローグというか、映画の末尾に流れる字幕の中で、10代目の兄弟は揃って海軍の将官になったという説明がありました。こうして、深く物事を追求しない私のような正しい観客は、「猪山家の春はこうして続くのね」という明るい気分で映画を見終えることができたのでした。
うちも代々サラリーマンなんだよなー。少なくとも祖父さんからサラリーマン。親父もサラリーマン。私もサラリーマン。業種が全部違うのは、世代ごとに流行に乗ったものと思われる。親父は少なくとも二つの波を乗り継いで、栄耀栄華を極め…たりはしてないが、かなり上手く世間を渡ったと思われる。どうも江戸の世が再び終わり、新政府が興りそうな気がするが、果たして私は波を乗り継いでいけるのか。そもそもその発想でいいのか。
「ソーシャル・ネットワーク」日本では今日封切だったらしい。先日のブログに検索でたどり着いた方がちらほら。ショーン・パーカーって誰だよ、という疑問が湧いた人が他にも居たらしい。だから Napster ってのはもともとショーン・ファニングのあだ名だったんだってば。